☆終了テスト、問題だってドイツ語だ!☆


WienUniv6月1日(木) 今朝早く、ワーグナーの「ラインの黄金」のチケットを買いに行った。指輪シリーズをすべて見たかったが、私にはこれしか見ることができない。まもなく、帰国だ。
チケット売り場で大使館にお勤めの方と知り合った。仕事でもう並んでいる時間がないということだったので、彼の分も私が購入してあげることになった。
FOTO:Wien Universitaet

6月2日(金)

今日はいよいよ終了テストの日。問題だって、ドイツ語で書いてあるんだからぁ!
おっと、授業ではやらなかった単語の反対語を書く問題まである。
こういうのが、ささっとできると先生も感心してくれるんでしょうが・・・。
しかし、ほかの問題はまぁまぁ、なんとか解答できた。
テストも終わったので、夕方クラスメートと待ち合わせて、ゲサービアクリニックというビアホールへでかける。
そこで、ウィーン大学に留学中の日本人の女の子と知り合った。すごく感じのよい子。もっと早く知り合っていればよかったのに。

6月3日(

こちらに来てから知り合った日本人の人たちとまたまたホイリゲへ。
話がはずんで、すっかり遅くなり、夜中に下宿に戻った。
めちゃくちゃ下宿のおばあちゃんに怒られた。
最初、なんで怒られているのかよく分からなかった。遅くなったからかなぁ。と思っていたら、確かにそれもあるが、駅のあたりが最近ぶっそうで、とても心配してくれていたのだった。
おばあちゃん、ごめんなさい。心配してくれてありがとう・・・Schneeberg

6月4日(

おととい知り合ったばかりのしょうこちゃんとシュネーベルクに行く。
なんだかずっと以前から友達だったみたいな感じがする。
彼女の方がずっと年下なのに・・・^^

シュネーベルクとは日本語にすれば「雪山」なんていう安直な名前の山。
登山列車は登山者よりものろいくらいのスピードで山を登っていく。でもかわいい列車だ。
山の上には名前のとおり、残雪があった。
晴れたり、雨が降ったり、雪が降ったり、あられまで降ったりしてとても変な天気だったが、晴れた瞬間の景色はすばらしかった。

登った道と違う道を降りようとしたらしっかり、道を間違えた。親切なご夫婦がこっちは違うといって教えてくれた。
しょうこちゃんは、そのご夫婦と楽しげに話しながら、もと来た道を戻った。わたしも少しだけ会話に参加した。しょうこちゃんは、ドイツ語堪能!
山頂に戻ったとき、みんなで記念撮影をした。ウィーンに住んでいる人達で、一度遊びに来なさいと言って、名刺をくれた。
しょうこちゃんは、その後行ったのだろうか?
FOTO:Schnee Berg

6月5日(月)

夕方まで部屋の片づけをした。いよいよあと1週間で帰国だ。ずっと、長い長いと思っていた留学だったが、いざ、帰国が近づいてくるとなんだかやっぱり短かった。また、いつか短期留学できるだろうか・・・
夕方、クラスメートと待ち合わせをしたがぜんぜんこない。やっと来たと思ったらひとこともあやまろうともしない。いったいどうやって育てられたんだ!?同じ日本人として常識もないやつなんて本当、はずかしい。
もう、こんなやつとは付き合うか!と思ったのに、また約束してしまったわたしがあほともいう。Zunge

6月6日(火)

しょうこちゃんと、歴史博物館へ行く。とってもよかった。夜はツヴェルフ・アポステルケラーに行く。
ここは昔、カタコンベだったところ。つまり地下墓地だ。妙〜な雰囲気がある。ツンゲ(牛タンの薫製)がとてもおいしかった。
残り少ないが、もう一度ここへ来たい。
FOTO:Zunge(牛タン)Schoenburn

6月7日(水)

ここへ来るときに知り合った日高嬢とカフェへでかける。ウィーンフィルのとってもよい席のチケットを譲ってもらったのでお礼にケーキをごちそうすることになっていた。
アプフェルシュチュルーデルがおいしいというカフェに行き、それを食べ、楽しいひとときを過ごす。
夜は祥子嬢とウィンナーシュニッツェルを食べる。おいしかった。
祥子嬢と会えるのも今日が最後。日本できっとまた会おうと約束して別れる。
みやげもおおむね買って、帰国の準備は着々と進んでいる。

6月8日(木)

記録なし。
FOTO:Schoenburn SchrossKlasse

6月9日(金)

終了証をもらう。読むとか書くとか話すとかいくつかの項目に別れて成績が記述されていた。すべて、Sehr Gut!先生、甘いなぁ。
その後、教室でさよならパーティーを開催。先生は高熱をおして、やってきていたので、残念だが、しばらくで帰宅。
いろいろな国の人の催しとかあって楽しかった。
12日の月曜日にはホイリゲでクラスの打ち上げをやるということだった。わたしもぜひ出席したかったがその日はもう日本だ。
先生にもう帰国しなければならないといったらとても残念がってくれた。
いろいろな思いが込み上げてくる。
FOTO:さよならパーティーZeugnis

6月10日(

ウィーン最後の夜になってしまった。
わたしは一人、ウィーンの街の中を徘徊する。あぁ、長いようで短いウィーンでの生活だったなぁ。下宿のおばあちゃんの言うことにいやけがさしていたときもあったけど、本来やさしくて親切なおばあちゃん。また、会えるだろうか。
それにしても、一人でぶらぶらしていてもつまらないなぁ・・・
と見ると日本人の男の人が地図を見ながらうろうろどこかを探している。ええい、話しかけちゃえ!「どこかお探しですか?」と尋ねると教会を探しているという。なぁんだ、教会ならウィーン中のを見てるからわかっちゃうもんね。というわけでその教会へ案内する。いろいろお話をしているうちに、夜はコンサートを予約したとかでそのあといっしょに食事をしようということになる。
わたしは、もう一度行ってみたかったツヴェルフ・アポステルケラーへ案内する。結構気に入ってくれたみたい。
日本での連絡先を教えあい、別れる。
明日の今ごろは飛行機の中だ。
FOTO:終了証

6月11日(

電車に間に合わないとおばあちゃんに追い立てられるように家をでる。私はすぐ次の列車があるからだいじょうぶだと言っているのにそんな列車はないといいはる。まぁ、いっかぁ。駅まで送ってくれる道すがら、おばあちゃんは忘れ物はないかと尋ねる。
わたしは日本語の感覚ではい(Ja)と答えるとおばあちゃんはまた忘れ物はないかときいてくる。わたしはふたたびJaと答えるとおばあちゃんは三度聞いてくる。わたしがまたJaと答えると、Neinだろう!と言ってきた。あっ、そうだったと思い、Nein!Nein!Nein!と3度も答えてしまった。〜でないでしょう?の質問の返事は難しい。
列車にいそいで乗り込みあまり別れをおしむまもなく列車は発車した。空港で長い時間を過ごし、そして飛行機は日本へと旅だった。

6月12日(月)

行きはモスクワ経由だった飛行機がなぜか直行便になっていた。ANA、オーストリア航空、アエロフロートの3社共同運行便だったのが4月くらいにANA、オーストリア航空2社共同運行便に変わっていたのだ。
早朝、日本着。
久しぶりに見る漢字が書いてあるたくさんの看板が面白い。主人の迎えにより無事帰宅。

こうしてわたしのウィーン留学は終わった・・・。

ここまで読んで下さった貴方、本当にありがとうございました。


ホームページ ウィーン留学記トップ    
ウィーン留学始まる ヨーロッパ1人旅1 ヨーロッパ1人旅2 ハンガリーは物価が安い
美しき青きドナウ まだまだウィーンで勉強中 イタリアへ行った!? 修了試験