1996.6.28〜29 ピサ ・ ベネツィア ・ インスブルク(オーストリア)
Pisa no Shato

6月28日(金)

フィレンツェから水の都ベネツィアへ。
途中、ピサを観光。あの有名なピサの斜塔を見る。これも今回の旅行の1つの楽しみだった。
古いガイドブックなどで見たピサの斜塔より、やはり、より傾きが増しているようだ。この傾きを止めるために世界中で研究がされているらしい。
Senreido- 以前は登ることもできたそうだが、現在は立ち入り禁止。研究がうまくいかなければ、あと10年はもたないだろうとのこと。
同敷地内に建っている洗礼堂はすばらしく音響が良い、ということだったので、わたしが家族の代表で入場してきた。
中は単にドーム状になっていて、係りのおじさんが美声を聞かせてくれた。本当に美しく声が響き渡った。
夕方、ベネツィアへ到着。この時期、ヨーロッパは21時から22時くらいまで明るい。食後、もう8時を回っているというのにまだ、夕方5時くらいの感じだったので、母と二人散歩にでかける。
すぐに声をかけてくるイタリア人。日本語で、「いか墨あるよ!」と。「ノ、グラッツィエ」と言いながら歩くと、また別の人が「いか墨あるよ」。日本人ってそんなにいか墨が好きかぁ!?と思ってしまった。
わたしはどちらかといえば、あんな黒いスパゲティは食べたくない。
運河に暗闇が立ち込めてきた。ベネツィアングラスのペンダントを購入してホテルに帰る。

FOTO:右:ピサの斜塔、左:洗礼堂

6月29日(

Benetia1 Benetia2 Nageki-hasi

ベネツィア観光。夜、インスブルクヘ。
ドゥカーレ宮殿を見学し、ゴンドラに乗り、広場を歩き回り、水の都を堪能。
ゴンドラは最初、外海から出発するので、かなり揺れる。細い運河に入り込んでしまえば、さほどのことはない。何台かのゴンドラに分乗し、運河をゆっくり進む。1つのゴンドラで、船漕ぎがカンツォーネを歌う。運河の両岸にぎっしり建った建物にその声は美しく響き渡る。
St.Jorujo
ここの現地ガイドは変なイタリア人だった。どこでならったのか、ちょっと変な訛りのある日本語で案内をしてくれるのだが、ときどきつまらない冗談を言っては、自分で「座布団3枚!」とか言っている。(なぜ、笑点を知ってるんだ!?)
午後、延々とバスに揺られ、オーストリアに入る。

FOTO:左上:ベネツィアの運河、中:ホテル前の運河、右上:嘆き橋、右下:サン・ジョルジョ島


7ヶ国といっても、インスブルクでは何の観光もなく、ただ泊まるだけだった。ほとんど通過に等しい。
それでも、夕食はホテルでだったので、飲物のために、両替する。実際は日本円で飲物代を支払って、おつりがオーストリアシリングで返ってきた。
コーヒー1杯ほどのお金が手元に残っていたので、わたしは一人、夜の町に出かけていった。
日本でいうドトールのようなカフェがあったので、入る。一人でコーヒーを飲んでいると、隣に座っていた割腹の良い男の人が「中国人か?」と話しかけてきた。わたしは、「いや、日本人だ」と答えた。「目尻があがっているので、中国人だと思った」と彼はいう。わたしって、どちらかといえば、目はたれている方だと思ってたんだけど、すごく意外!
Kaffee 「このあたりに住んでいるのか?それとも旅行か?」と、おじさん。「旅行です。」わたし。「初めて来たの?」とおじさん。「いえ、3度目です。」わたし。「ここは有名なスキー場があるんだ。昔、オリンピックが行われた。」とおじさん。「4年前にそこでスキーしました。2年後には日本で冬のオリンピックが行われますよ。」わたし。「ああ、札幌であったんだよね。」とおじさん。「??」わたし。
このとき、おじさんは昔、日本でオリンピックがあった話と勘違いしたみたいだった。「そうじゃなくて、2年後、未来、長野オリンピックだってばぁ」わたし。「ああ、未来のことか」とおじさんやっと理解。
「草津は有名だねぇ。行ってみたねぇ。」と突然おじさん。「草津?なんで知ってるの?そこは温泉が有名ですよ。」わたし。 コーヒーがなくなっていたのに気づいたおじさんが「もっとコーヒーを飲まないのか?」と尋ねてきた。「お金がない。今夜しかここに滞在しないので。」と答えると「何を言ってるんだ、もう友達じゃないか、ごちそうするよ」とおじさん。コーヒー大好きのわたしは喜んでご馳走してもらった。楽しい時間はあっというまに過ぎ、店も閉店の時間になった。
現地の楽しいおじさんと話せてよかった。店の人たちもにこにこしながら見送ってくれた。



ミュンヘンへ
ヨーロッパ7カ国周遊へ(地図)
Homeへ